2022年7月27日水曜日

【コラム】お寺は『場』。では、どういう『場』、なのでしょう?②

 


お寺は『場』。では、どういう『場』、なのでしょう?②

「同じ方向を向いて坐る」には

「気持ちも同じ方向に向いている」と思えて

「同じ気持ちでいられる」という安心感が生まれる。


お寺の行事で感じる同じ方向とは、

1、ご法事や、ご先祖供養の法要

「ご先祖さま」

2、阿字観 坐禅瞑想

「阿字観ご本尊」

3、護摩祈祷

「御本尊・不動明王」


そこから、

1、「ご先祖さまを大切に思う」

2、「心の平和を願う」

3、「不動明王さまを信じ、祈る」

同じ気持ちを共有し、同坐する参拝者に安心が生まれます。


「あなたも私が尊いと感じているものを、

 大切に思っていらっしゃるんですね」

信仰心の共有は

最も高貴で清浄なコミュニケーションであります。

安心や、励まし、癒し、、、心にとても響きます。


さらに


私がもっと大切で尊く思うのは、

今、挙げた向いている方向や、共有する気持ちよりも、

向いている主体は何でしょう?

ということです。


次稿では

視点を180度ひっくり返して、

何が向き合っているのか?

その向き合っている主体、

自分、、、について考えてみたいと思います。

2022年7月26日火曜日

【コラム】お寺は『場』バ。では、どういう『場』バ、なのでしょう?①


お寺は『場』。どういう『場』なのでしょう?①

お寺の活動について取材を受けた時、
「お寺の役割は?なんですか?」と聞かれます。
私は「お寺は『場』なんです」とお答えします。

「法事」や「先祖供養の法要」、「護摩祈祷」、「阿字観」etc
お寺の行事は、「同じ方向を向いて坐る」ことが多いです。
普段の暮らしは個々バラバラ、コロナで更に散りじり、
他人さまが何を考えて、何をしているかは分かりません。
でも、気になるんですね。

そんな中、
お寺で「同じ方向を向いて坐る」
とても安心するそうです。

お寺としては
『場』=『第三の居場所』『サードプレイス』 
    :自宅と職場ともう一つの居場所
を作らせて頂いている、、、ただその一心で、
宗教以外の様々な行事にも取り組んでいます。

うちのお寺がコロナ禍で
年中行事をひとつも中止にしなかったのも
同じ思いです。とにかく、『場』を作る。

でもそこでの参加者からのお声が
お寺で「同じ方向を向いて坐る」と安心する
ところまでお役に立てたのは驚きました。
とてもありがたいお声であります(^^)

まず、「同じ方向を向いて坐る」
こと自体に「気持ちも同じ方向を向いている」
「同じ気持ちでいられる」
という安堵感が生まれるようです。

当然、となりの人が何を考えているか
までは知ることは出来ません、、、
でも安心する、、、

ではでは、次稿にて
どういう『場』になっているのか?
掘り下げてみたいと思います。